アーカイブ動画が上がるまでの2週間。全曲解説していきます!
あの1時間半のライブ配信の裏側。。。 どんなことが起こって、どんな意味があったのか。
お楽しみください♡
M-1 いざ!冒険の旅へ

ライブ配信をやろうと決めたのは7月くらいでした。
2月の公演がダメになって、今年中にあの公演を再演することは厳しいなと感じ始めました。
けれど、子供達に私は「今回の公演は、延期します」と言ったのです。 賢いトモプロちゃん達は、「延期」と「中止」の違いはよくわかっています。
いつかきっと。。。と思う気持ちとダメだろうな。。。と思う気持ちが混ざり合ったまま時間が過ぎていくのを感じました。
子供達に、夢を見る気持ちを失わせたくない。 私の心の中に、大きくなっていく感情でした。
けれど状況はどんどんひどくなっていく。
東日本大震災後、私は杉並から南相馬に通い続ける中たった一つ心に決めていました。
「この手は、離さない」
震災をきっかけに出会った南相馬。 そこに出会った子供達。 毎週、歌うこと、踊ることを楽しみにしてくれている子達が待っている。
月に1回だった往復は、自然と2週に1回になり、そのうち、毎週になり、私は4年前に住所を南相馬に移しました。
復興、とかいう言葉だけが存在理由ではなくて、震災をきっかけに、繋ぎあった手を離さず、同じように成長していくことが、尊いことだとトモプロの存在理由は、どんどん変わっていきました。
そして今年、その逆のことが起こった。杉並の手が、離れそうになる。。。
レッスンにも行けない。 子供達は会うことができない。 もう、あんなステージはできないかもしれない。
自然と杉並と、手が離れそうになる。
けれど、この手は、離したくない!
野菜を送ってみたり、ZOOMでレッスンをしてみたり、新聞やラジオで訴えてみたりどうやったら、繋がり合えるんだろう。。。
8年間、必死に繋いできたこの手は、コロナの菌にまみれて離れてしまうのか。。
毎日、悔しくて涙が出ました。
いや。 この子達が一番喜ぶことをしよう。
それは、ステージだ。
nappo便を一緒に送り続けてくれてる澤田さんに、言ってみました
「ライブ配信、やりたいんです。それも2地域繋いで」
2地域を繋いで、同時に歌って踊るなんて無理難題だと思いました。
けれど、それしか思いつかなかった。
そして澤田さんは、静かにこう言ってくれました
「いいですね。できますよ。やりましょう」
次の日、私は、9月にたった1日空いていた座・高円寺を予約しました。
ここしかない。 この日に、絶対、やるんだ。 この子達を、もう一回、笑わせたい。 ステージの楽しさを、もう一度、味わわせたい。
もちろん1曲めはいつだってトモプロを前に進めてくれる この歌「いざ!冒険の旅へ」
南相馬と杉並。 離れていても、私の声は届く。 マイクなんかいらない。
「いくよーー!せ〜の!!」
「はいか!yesか!喜んで!!やるしかな〜い」
いざ!冒険の旅へのイントロが流れ始める。
どんなときも、そばにいる。 それを、絶対に、表したかった。